創業者「西野善久」の軌跡


18才 集団就職で上京

昭和42年、18才で高校を卒業し、岩手県から集団就職で上京する列車の網棚にボストンバックを上げる瞬間、「おれは、帰るときには社長になって帰るんだ」と堅い決心をし、故郷を後にしました。


19才で結婚 フルコミッションの世界へ

東京で働き始め、19才で結婚します。自分一人の力で家族を養うため、紳士服のコミッションセールスの仕事をはじめ、「売上げがあれば報酬がたくさんもらえ、無ければゼロ」というフルコミッション(完全報酬制)という世界に入りました。学生時代からセールスに興味があり学び続けていました。セールスマンとして稼ぐチャンスだと思いました。


26才で岡山の地に 既製品の限界を感じる

既製品のスーツの訪問販売で多くの実績をつくり、26歳の時岡山に来ました。前の支店での紳士服販売成績を高く買われ、岡山支店の方にすぐ受入れていただきました。しかし、既製品のスーツはどうしても体に合わないことがあるため、それらを売ることに対する抵抗が強くありました。岡山に来て1年くらい経った頃、イージーオーダースーツと出会い、これなら誰にでも満足していただくことができると感動しました。


ガルディの前身 トータルファッションダンディ設立

「洋服の青山」や「はるやま」のような根強い既製品の量販店が出現し、勤めていた会社が岡山を撤退してしまいました。訪問販売でたくさんのお得意様をあり、イージーオーダーで独立という道を進みました。


糸へのこだわり

生地

訪問販売で上場企業を専門に回っていましたが、1人のお客様からクレームが出ると、その方と同じ会社にいる社員全員の信頼も失ってしまいます。スーツを作ったあとに「お前のところは良かったな」と思われるような素材を追求していました。毎日スーツを着ているビジネスマンにも耐えられるものでないと商売が成り立たない、そういう世界で営業をやっていました。


外商の時代は終わり 店舗販売スタート

店内

昭和59年、某製薬会社の支店長がスーツの胸ポケットから100円ライターを取り出したのを見て衝撃を受けます。スーツから安価で使い捨ての100円ライターを取り出すということは、良いスーツを着ることがステータスシンボルだった時代も終わりだと直感します。訪問販売で一軒ずつ回って高価なスーツを売る時代は終焉を迎え、店舗販売で4、5万円のスーツを販売するスタイルに大きく舵を切りました。


平成5年 赤字覚悟のオーダースーツ29,800円

上場企業の社員の給料がどんどん毎年下がっていく中で、お店を出したからといって売上げが出るというわけではありませんでした。4、5万円のスーツを売っているのはもはや当たり前で、2万円台や3万円台で打って出ないとお客様がお店に来てくれません。儲かるとか儲からないではなく、どうやったらお客様がお店に入ってくださるかを考え、平成5年、既製品と変わらない値段の29,800円でオーダースーツづくりに挑戦します。
29800この価格で、利益を上げるのは大変難しいことです。しかし、継続していくことで、「オーダースーツ29,800円」という宣伝を見た問屋さんが「こんな値段で売っているのか!」と、それに釣り合うような安くて上質の生地を扱っているところの情報を持ってきます。情報が入ると、すぐにそこへ向かいました。それを何回も繰り返すうち、相手にも誠実さが伝わり、その輪がだんだんと広がっていきました。
それでも、利益が出るまでには10年はかかりました。血の出るような戦いでした。しかし、あきらめずにやった結果、今は初オーダーが17,800円です。29,800円という値段でも糸や仕立てにこだわってきたからこそ、岡山の人に「あそこは安くてもいいのを作る」と信頼を得たのです。
低価格でも信頼を得るような素材選びをきちんとするということ、これが第一番だと思います。
※初オーダー ガルディのスーツを初めて作るお客様の特別価格


経営理念「心」について

心学生の時、姉が「心」という字を書いてくれて、それをベットの上に貼って毎日眺めていました。なぜその「心」という字を書いてもらったかというと、武者小路実篤の「友情」という本を読んで感動し、「目に見えない活字を読んでいるだけなのになぜ人間はこうも変わるのか、人間の心はすごい」と感じたからです。
その想いがずっと心にあり、人の心に訴えかけていくのが本当の商売だと思い、経営理念を「心」というものにしました。物やお金よりも大事なのは「心」なんだと、社員にも伝えていけたらいいと思っています。